書く習慣で脳がもっと活き活きするよ 茂木健一郎さんの昨日の続き
今日は、暑い一日でしたので、洗濯物がよく乾きました。
2026年8月8日(土)p67〜p97抜粋
P67
これに対して、ツイッターなどのインターネットサービスには、評価がスコアとして記録されるゲーム的な要素が加わります。
他人が読むことが前提となっているため、そこには他者からの評価が入り込む余地があります。
定期的な読む読者もつくし、コメントも寄せられる。ツイッターのフォロワーが何人かということも、自分の発言に対してコミットしてくることには、良い面も悪い面もあるでしょうが、少なくとも様々なフィードバックを得ることができます。そこで、脳の中の遊びのカイロが刺激されます。
ビジネスにおける成功の法則は、遊びとして人々が多物締めかどうかです。あとは以下にしてその領域の幅を広げ、そこに技術や経験、ネットワークや人脈を投入できるかどうか。
おっれができる人や企業は必ず伸びます。
生きることは記録すること
記録することという行為そのものは、とても重要です。ただ記録するだけでは物足りない!という人にはもう一歩進んだ方法をお勧めします。
それは記録+5段階評価記録です。
例えば、今月は本を10冊読もう。
と目標を立てたとします。
実際にどういう本を読んだのかメモしていくだけでもいいのですが、さらに夏目草生の坊ちゃんを4、シェークスピアの真夏の夜の夢5というように、その本の内容を自分なりに5段階で評価し記録していきます。
あくまでも、自分の素直な評価で構いません。
こうして記録しながら読んでいくと、自分の本に対する目利き度を向上させることができます。
例えば、読む前は3レベルだと思っていた本が、意外なことに最高レベルの5だったというように、自分自身に変化が表れます。
最近2レベルの本しか読んでいないと思っても、わざわざ反省する必要はありません。続けていくうちに本の鑑識眼が上がり、意識しなくても手に取る本は高いレベルのものばかりになっていきます。
考えてみれば、スポーツや日記に限らず、日常生活を見渡してもても、僕たちの身の回りは記録で溢れています。
会社の業績の記録は決算書であり、会議の内容の記録は議事録であり、ビジネスパーソンの仕事の内容の記録は、業務日誌であり、将棋の対局記録は棋譜です。
また、家計のやり繰りの記録は家計簿であり、学校の成績の記録が通信簿であり、自分の健康の記録は健康診断表です。
この章では仕事であれ勉強であれスポーツであれ、記録することはメタ認知を働かせることになることをお話ししました。
次章では、偶有性の概念から書くことの重要性やパワーについて説明します。
第2章のまとめ
1 脳は制約がある方が自由に活動することができる。
2 メタ認知とは、自分をあたかも外から観察しているかのように認識する能力である。
3 記録とは、自分自身の行動をメタ認知することである。
4 不調な時に無理して作業を続けるよりは、別の作業に切り替えた方が、脳は本気を出す。
5 5段階評価で記録する習慣を持つと目利き力が上がる。
第3章
なぜ書くだけで、願いが叶うのか
人生とは偶有性という名のオセロゲーム
現代の脳科学において最も重要な概念の一つに偶有性があります。
偶有性についてはこれまでも述べてきましが、ある程度予想がつく事柄(不確実性)とが混ざりあっている状態のことで、どのように変化するか話からない性質のことを言います。
偶有性は、たととえるならばオセロゲームみたいなものです。
オセロゲームで使われる石は白と黒がそれぞれ表と裏になっていて、戦局によって白い面が黒い面にひっくり返されたり、黒い面が白いめんに返されたりすることが、常に起こります。
ある局面に来た時、盤面に黒石をポンと置くと、挟まれた白石がパタパタと、黒になってしまう。
また別の局面では、逆に黒が白になることもあります。
スポーツはまさしく。この予想がつくととと予想がつかないことがうまくミックスされています。
ルールは定まっているけれど、局面はどんどん変化していく。
野球やサッカーはもちろん、将棋のような対極でも、一瞬で局面が変わって、どちらが有利なのか、また逆転があるかもしれないという偶有性に満ちているから、プレーしている方も、見ている方も面白いのです。
人生もそれと同じで、白だと思っていた状況が一転して急に黒に変わったりすることの繰り返しです。地震や洪水などの災害に見舞われたり、事故に巻き込まれないとも限りませんし、勤めている会社が買収されたり、潰れたりすることもあるでしょう。まさに一寸先は闇で、自分の人生で次の瞬間に何が起こるかはまったく予想できないことです。
事件や事故といった非日常的なことを持ち出さなくても、日常生活にも偶有性は満ち溢れています。
例えば人とのコミュニケーション。
親しい人と会話をしている時、相手が次に何を言うかはそれまでの会話の流れからる程度は予想がつきます。
ところが、昨日⚪️⚪️にバッタリ会ったんだとか宝くじが当たったとか予想が全くつかない展開に話が逸れていくこともあります。
そういう意味では、何気ない日常会話も偶有性の連続と言えます。
偶有性がない会話は、面白くありません。
お酒に酔うと、いつも同じことを言う人がいます。
俺の若い頃は・・・
昔は携帯電話なんかなかったから、連絡を取るのも大変だった。
俺、〇〇にくわいいんだよね。
たいてい当人の自慢話か趣味の話なので、聞いている方は、またその話かと辟易しているのですが、そんなことはお構いなしに延々と話し続ける。
そう言う人の話は、予想がつかないことが少なすぎて、聞いている方は、全然面白くありません。
逆に、会話をしていると話題が次から次へと飛んでいき、その飛び方が支離滅裂という人もいます。
仕事の話をしていたかと思えば、趣味の話に飛んで、さらに自分の子供の話にまで脱線してしまう。この場合は、予想がつかない部分が多すぎて、聞
いている方は話の脈略を整理するのに疲れて、ついていけなくなります。
偶有性の観点からいうと、会話を弾ませるためのコツは、予想がつかにことと、予想がつくことをうまく混ぜるところにあります。予想がつくことをうまく混ぜるところにあります。
予想がつく話をラリーのように続けて、時々フェイントをかけてまったく予想のつかない話を織り交ぜる。そうすると、思い崖ず生きた言葉が口をついて出るようになり、お互いに満足のいく会話が続いていきます。
最も、時に意識しなくても、あなたの心の働きが、エラン・ヴィタール(生命の躍動)に満ちていたら、自然に偶有性が生まれるはずです。
水戸黄門が長寿番組になった理由
別の例でも説明してみましょう
偶有性をうまく体現したエンターティンメント言えば、かっての水戸黄門です。マンネリとかワンパターンとか揶揄されがちな水戸黄門ですが、意外にも偶有性に満ちています。
予想通りの展開と、意外な展開がほどよくミックスされていたのです。
予想がつくことといえば、だいたい8時43分くらいになると印籠が出てくること。以前に一度だけその予想を裏切って印籠が出てこなかった気には、
抗議の電話が殺到したそうです。
泣きながら、ワシはあの印籠が楽しみで見ているんじゃと訴えたおじいさんもいたとか。
そんな水戸黄門にも予想がつかないことがあります。
それは由美かおるさんの入浴シーンです。
2009年の放映で入浴シーンは累計200回となり、同じ回で由美さんはレギユラー出演700回を迎えたそうです。ということは、だいたい4回に1回くらいは入浴していた事になります。
これほどまでに由美かおるさんの入浴シーンが多かったのは、そのシーンを楽しみにしているお父様たちがたくさんいたというなのでしょう。
おそらく毎回入浴シーンがあれば、当たり前になってしまって、いつも見ようという気が起こらない、
4回に1回程度の割合だと、今日は見られるかもしれないと期待して、テレビの前に座る。それがいつ放送されるかわからないところが偶有性であり、確実性と不確実性がほどよくミックスされているところが、水戸黄門の人気の秘密にもなっていました。
もう1つ予想がつかなかったことがあります。
それは印籠を出しても、悪代官たちが納得してくれなくてもはやこれまでといって黄門様に斬り掛かっていくこと。
これも毎回起こることではありません。
予想がつかない展開はちょっとしたサプライズになり、視聴者をハラハラドキドキさせます。
水戸黄門という番組を考えただけでも、いかに予想できるものと、できないものが混在しているかがお分かりいただけるでしょう。
消費者サプライズを求めている
このように、偶有性は、人と人とのコミニュケーションや興味の対象を支配しています。
偶有性に浮いてマーケティングの例
を使ってもう少し説明すると、今までの商品の焼き増しでしかないものに消費者はあまり興味を持ちません。
逆に、サプライズすぎるものに関心が向かないところが面白いところです。
例えばビール。消費者の予想をちょっと上回るザ・プレミアム・モルツを売れました。
すでにモルツがブランドを確立している中にあって、さらにプレミアムという言葉がついたから、あのモルツよりさらにうまいに違いないという
興味を掻き立てることに成功したのです。
要するに、モルツというある程度予想のつく世界とプレミアムという何か未知の世界が混ざっていたから、ザ・プレミアム・モルツは大ひっとしたのです。偶有性がいかに人間のコミュニケーシヨンを支配しているかお分かりいただけるでしょう。
ピコ太郎の世界的なヒットも、偶有性である程度説明することができます。
これはペンです。これはアップルですという、誰にでもわかり次に何を言うかの予想がつく英文と、ピコ太郎さんの奇抜な服装やキャラクターという
予想ができない部分の入り混じった偶有性が人々の心をつかんだのです。
人間の脳は予想できるものと、できないものの割合を1対1くらいにバランスを保とうとします。
そのバランスの取れた状態が脳にとっては、一番楽しいことなのです。
なぜ、そのようにできているのかといえば、人類の歴史を振り返ってみるとわかります。
狩猟や採取をしていた頃は、天候や季節など自然の条件に左右されながら生きていたため、それこそ次の瞬間に何が起こるか見えない状況に置かれていました。今よりずっと偶有性に満ちた社会だったはずです。そのような状況にも適応できるように進化してきたのが人間の脳なのです。
何が起こるかわからない状態を楽しむ気持ちは、進化の過程で脳が身につけた生きる知恵と言えます。
そのことがわかれば、次に何が起こるのかわからない局面に立たされた時も、なんだかわからないけど、もしかしたら面白いことが起こるかもしれない
と、偶有性を楽しむことができます。人生の見え方も変わってくるはずです
繰り返しますが、脳は確実性と不確実性のバランスの取れた状態を好みます。
会社と自宅を往復する確実性ばからの生活を送っていては、会社の合併や倒産という偶有性の荒波にほうり込まれた時、適切な行動を取ることができなくなります。自分が置かれた状況がどのように変化しても、次のステップに進むチャンスだと偶有性を楽しむ気持ちがあれば、その厳しい状況を乗り越えていくことができるでしょう。
無意識に支配される私。
突然ですが、素敵な女性と、困ったおばさんの違いがわかりますか。
僕はある時この違いに気がついて以来、しばしば女性陣に注意を促してきています。といっても、これはもちろん外見上のことではありません。
素敵な女性と、困ったおばさんの違い。それは無意識の垂れ流しです
若い頃は、案外自分が思っていることを正直に口にしないものです。
子供の頃は、思いついたことをよく考えもせず口にして大人に叱られるものですが、思春期を過ぎた頃からは、
なんとなく自分の思いを胸に秘めるようになります。
クラスの⚪️⚪️ちゃんが可愛いいとか、〇〇君がかっこいいとか、そういうことを気軽に言えても、本当に好きな子にことは誰にも言えなかったり、あるいは自分自身の悩みも胸の内で抱え込んだりするものです。時には、それが、コンプレックスにつながるときもあります。
ところが、ある年齢を過ぎてくると、羞恥心が欠けてくるからでしょうか、思ったことをそのまま口にするようになります。
電車の中や喫茶店など、大勢の人がいる場で、大声で人の噂話をしたり、ふと思いついた感想をそのまま口にしたりしている人は、間違いなく無意識の
垂れ流しをしています。
今この場で口にするにふさわしいことなのか、周囲にはどういう人がいるのか、そもそも相手が自分の話を聞き入れる態勢にあるのか、それを聞いた人は、どういう気持ちになるのか。そういった配慮がないまま生活しているとすれば、無意識を慣れ流して生きていると言ってもいいです。
無意識は、確かに厄介なものです。
無意識の垂れ流しをしている人もそういうことを言っていいのか悪いのかは、よくよく考えればわかります。
それが無意識の重傷あるが故に十分考える前に口から出てしまう。何気ないヒト言が他人を傷つけることもあれば、同時にこいつは大したことないなと判断されることもあり得ます。
無意識と向き合う方法
無意識を垂れ流ししないためには、無意識を意識に上らせるプロセスを経る必要があります。
言葉を変えれば、無意識を意識化するということです。
この無意識を意識化する作業はフライトから始まる精神ぶんせきでも、重要な役割を演じています。
少なくとも、自分の無意識レベルの願望を意識下することによって
人生を操るハンドルを手に入れることができます。
例えば、お金持ちになりたいという願いを持っている人がいるとします。お金持ちになりたいと意識している場合はいいのですが、たまにそれを自覚していない人がいます。
心の中ではお金持ちになりたいと強く謎んでいるのに、それをはっきりと意識することは恥ずべきことだと思ってしまったりする。
そうすると、その滞在的な欲望は消えることなく、成功した友達をひがんだり、あるいはお金なんて、全然いらないよ。人生お金じゃないわよ。というのが口癖になったりと、歪んだかたちで表れてしまいます。あるいはお金持ちではない自分を恥じ入って、お金持ちの人に対して卑屈になってしまうこともあるでしょう。
得てしてそういう人は痩せ我慢をしている場合が多く、心の中ではその欲望に自分が支配されてしまっていることに無自覚です。
本当に必要ないのであれば、無理してお金なんていらないと言うこともありません。
それでも言葉の端々にお金の話題が出てくるのは、その人が本当はその欲望に支配されてしまっている証拠です。それがお金持ちではいと言うコンプレックスになってしまっているのです。
もしその欲望を自覚して、私はお金持ちになりたいと素直に言えるようになったらどうでしょうか。
その場合、まずはお金が欲しい本当の理由と向き合えるはずです
世界中を旅行したいから
もっと勉強したいから。
独立して会社を興したいから。
お金が必要な理由は人それぞれでしょうが、闇雲にお金に対する欲望を抑圧するよりは冷静にその願望に向き合えます。
次に具体的にお金持ちになるためにはどうしたらいいのかと考えて、その方法を見つけ、目標達成のために努力すればいいのです。
つまり、お金が欲しい願望と素直に向き合うことで、初めて人は具体的な方法を見つけることができるのです。
自分の願望に向き合うことで、今まで支配されていたはずの無意識から解放されます。それまで、私を漠然と取り巻いたドロドロした欲望が、正体のわからない怪物ではなく、人生を成功させるためのアクセルとなっていきす。
言葉というのは一度口にすれば、どんどん大きなものになっていきます。
その意味では厄介なものでもありますが、それを手に入れれば頼りがいのある武器を手にしたようなものです。
ある形状のものを逆転させてみたり、粘土のように伸ばして変形させたりすると、全く違う別のかたちに見える。
そんなトポロジーの逆転ではありませんが、同じ繋がりを持ちつつも、全く別の形状になりうる可能性を秘めたもの。それが言葉の威力です。
さて、無意識を意識化する有効な方法があります。すでにお気づきの人もいるかもしれませんが、それは無意識を言語化すること。
つまり文字にして書くことです。無意識を脳の外に固定することでメタ認知が働き、自分の中ではっきりと意識されることになります。
文字を書くと脳の確実性が高まる。
偶有性とは、ある程度予想がつく事柄と、予想がつかない事柄とが混ざりあっている状態のことで、どのように変化するかわからない性質のことだと前術しました。誤解のないように言いますが、偶有性とは、全部を不確実にしなさいという意味ではありません。
人間の脳は、確実なものと不確実なもののポートフォリオ(組み合わせ)のバランスを取ろうとします。その時に、確実なものが多ければ、それだけ不確実なものを積み増せることになります。
例えば僕の人生は、ある見方からすれば不確実な要素だらけです。今日は東京で仕事をしているけれど、明日は大阪にいたり、海外にいたりする時だってあります。
仕事の内容も日によってバラバラです。
大学で教えているときもあれば、テレビやラジオの収録の時もある。あるいは論文を書いたり、移動中に本や雑誌の原稿を書いていたりするときもあります。
毎日同じ場所に通って、決められた仕事をルーテインワークとしてこなすのとは異なり、不確実な部分があまりにも多いというのが僕の日常です。
にもかかわらず、なぜ案外平気でいられるのかというと、僕の中にはクオリア(感覚の持つ質感)という確実なものがあるからです。
クオリアは僕のライフワーク。偶有性の波にたゆたいながらも、クオリアという確実なものがあるから、不確実なものに直面しても不安にのならず、自分自身を失うことがないのです。
人間は、これで毛は何があっても絶対に譲れない!という確実性を持っていれば、災難や不幸に遭遇したとしても根底の部分で揺らぐことはありません。
もともと脳の自然な状態というのはひじように柔らかく、神経細胞は自由にアメーバがうごめくように活動しています。
その中で唯一固いものとして、記憶があります。
その記憶さえも曖昧で時間がたつと失われてしまいます。
そういう意味では、確実なものと不確実なものを考えると、脳には
不確実なものの方が多いことになります。
脳の中に確実なものを持つにはどうすればいいのでしょうか。
それは、脳単独で処理せず、脳の外に固定点を持つとはどういうことかというと、脳以外に記憶を溜め込める場所を持つことです。
もうお分かりですよね。脳にとっての固定点とは、文字を書いて記録しておくことに他なりません。
人間は、文字を発明してそれを書いていくことで、脳の外に文字という固定点を作ることに成功しました。
文字を書いて記憶を固定させていくことで確実なものをどんどん増やしてきたと言えます。
分、不確実なものも積み増していくことができました。
それに対して動物は文字を持たないため、記憶を外に溜め込むことができません。
確実な部分が少ないため、不確実な部分も確実な部分と同じくらい少ししか積み増せないのです。
人間も文字発明以前は、確実な部分よりも不確実な部分の方が多かったのです。
文字発明以降では、確実な部分と不確実な部分が半々になっていて、偶有性のバランスが理想的な方向につかづいてきていることがわかります。
さらにコンピュータやインターネットの進化によって、記録容量が増大したことにより、脳はさらに確実性を手に入れて、その上にまた不確実性を積み増すことができるようになっています。
文字を書く上で記憶を固定させ、夢や目標を達成したいと思いました。
田中 深雪
